得得サイト パワースポットの旅 奈良編 春日大社 若宮神社

パワースッポットの旅 奈良編
若宮神社
(春日大社 摂社)

 

こんにちは!
得得サイトです。

今回は春日大社の摂社、
若宮神社(わかみやじんじゃ)です。

春日大社の摂社・末社

奈良の春日大社といえば、全国に約1000社ある春日大社の総本社で、世界遺産にも登録された国内外で人気の神社です。

30万坪もあるその広大な境内には、
春日大社の摂社・末社が合わせて61社もお祀りされています。

なかでも、本殿(ご本社)南側に鎮座する15社の摂社・末社には若宮」さまを中心に、
人が生涯をおくる間に遭遇する様々な難所をお守りくださる神々がお祀りされていて、若宮15社と呼ばれています。

若宮15社は春日大社の神奈備(かんなび=神が宿るところ、ご神体)である「三蓋山(みかさやま)」のすそ野、春日原始林の中にあり、木々に囲まれ、参道はすがすがしい空気に満ちていて、一生の神さまがたの大変ご利益ある、最強のパワースポットです。

春日大社本殿と若宮15社の絵図

この15の神社・遥拝所を回る「若宮十五社巡り」というものがあり、「玉串札」と呼ばれる木札を15枚いただいて(初穂料1000円)、玉串札を収めながら15社を巡り、素晴らしい人生を歩めるように祈願するそうです。15社の御朱印と財運福運のお守りがいただけるそうで、時間に余裕がある方はゆっくりと散策しながら参拝するのもいいですね。

 

若宮神社

御間道の燈篭

ご本殿から若宮神社につづく道は御間道(おあいみち)と呼ばれ、左右には燈篭がずらりと並んでいます。

春日大社には約3000基もの燈篭があり、日本一燈篭の数が多い神社とされていますが、ご本殿から若宮さまがいらっしゃるお社までの道を明るく照らすために、燈篭はこの御間道から最初に置かれたそうです。

ちなみに、藤原忠道が1137年に奉納した燈篭は全国で2番目に古い燈篭といわれており、・・・続きを読む
若宮神社のすぐ南側(広瀬神社と葛城神社の間)にあったゆずの木の下に置かれていたことから「柚木燈篭(ゆのきとうろう)」といわれ、この形状の燈篭を今も柚木(ゆのき)型燈篭といいます。現在はゆずの木ではなくミカンの木が植えられていて、置かれている燈篭はレプリカで原物は宝物殿に展示されています。
春日大社境内の燈篭は現在、基本的に2月の節分と8月の中元の年2回しか火は灯りませんが、当時は、毎晩火が灯っていたそうです。さすが、時の権力者「藤原氏」の氏神神社ですね。
ですが、神仏分離・廃仏毀釈によって、その習慣もなくなってしまったそうです。古い燈篭には「春日大明神」と刻まれているものがあり、一晩で3基見つければお金持ちになれるといううわさ(?)、都市伝説みたいなこともささやかれていますが、燈篭をよく見ていると、いろいろな鹿の絵が刻まれていて、燈篭の脇から姿を見せた本物の鹿と一緒に楽しませてもらえました。

若宮神社の入口のところで振り返ると、本殿がかすかに見えました。

本殿から若宮神社へ続く道、御間道(おあいみち)
          御間道

 

若宮さま(御祭神)

若宮さまとはいったいどなた??

若宮さまは天押雲根命 (あめのおしくもねのみこと)で、春日大社ご本殿の第3と第4のご祭神、「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」と「比売神(ひめがみ)」の間に生まれた御子神さまです。

一説によると、長保5年(1003年)、比売神さまを祀る第4殿の床に水のようなものがたまり、そこから小さなの姿であらわれ殿内に姿を消したとのこと。
ちなみに、天児屋根命は天照大神が天の岩戸に隠れたときに祝詞を唱えたといわれる神さまで、その子孫が宮廷祭祀を司る中臣氏(後の藤原氏)ということです。氏神さまですね。

 

天押雲根命(若宮さま)は、
知恵と生命の神さまとされていて、
元気パワーを頂ける神さまだそうです。

また、神話では葦原中津国(あしはらなかつくに=地上)に純なをもたらした神で、水の神とされています。

邇邇芸命(ににぎのみこと)に随伴して天下った神のひとり。・・・続きを読む
皇孫の御膳に使う水を、
国土の水に天上の水を加えて奉れという
神漏岐神漏美命(かむろきかむろみのみこと)の委託により、
父神・天児屋根命の命を受けて、
神漏岐神漏美命の元に遣わされ、
天水を天二上よりもち下った。


『先代旧事本紀』によると同様の話が「天牟羅雲命(あまのむらくものみこと)」にもあり、同神ともいわれます。
最後の『天二上より』というところ、何処なのかと思ったら、天牟羅雲命の別名に「天二上命(あめのふたのぼりのみこと)」というのを見つけました。

近年の文庫で、當麻眞人(たいまのまひと)の氏物語として記されていた内容は、『中臣・藤原の祖神である天押雲根命は純の水を求めて高天の大御祖(天上の大御神さま)にお祈りするべく天に近い(高い)山々を歩き、「大和の國取り囲む青垣山では此の二上山。空行く雲の通い路」と昇り立って祈ったところ、大御祖が此の二上山に天の水の湧き口を示され、その後、代々の中臣自身がこの山に水を汲みに通った』とありました。
つまり、天からの水(雨?涵養?)が湧き出る清水を二上山(にじょうさん=奈良県と大阪府の境にある金剛山地北部の山、頂は雄岳と雌岳に分かれている)に探し当て、持ち帰ったということらしいです。

ちなみに、現在、雄岳の山頂付近には、宮内庁が管理する「大津皇子 二上山墓」というお墓があります。大津皇子は天武天皇と天智天皇の長女から生まれた皇子で、謀反の嫌疑をかけられて24歳という若さで自害させられたそうです。

 

若宮神社のご由緒

若宮さまは、当初は比売神と一緒に第四殿に祀られ、その後第二殿と第三殿の間の獅子の間に祀られていましたが、平安時代の末、長承年間(1132~1135年)に大雨洪水による飢饉が相次ぎ疫病が蔓延したので、時の関白・藤原忠通公が、保延元年(1135年)に万民救済のため若宮様の御神威を乞い、若宮神社を現在の場所に造営して遷宮されました。

洪水飢饉から万民救済のため、ということですが、・・・続きを読む
丁寧にお祀りされていないと母神(比売神さま)や若宮さまのお怒りをかったとか、暗殺された(仮説)天智天皇を鎮めるため若宮様として祀ったとか、はたまた、天智天皇ではなく自害させられた天智天皇の息子だとか、いろいろ言われています。いずれも憶測の域ですが、飢饉や天変地異は天皇の政治が悪いからと考えられていた当時、天皇と政権を握っていた藤原氏にはなんとかしなくては、という思いは確かにあったはずで、建立されたお社は本殿のように壮麗で立派な神社です。

若宮神社の社殿

若宮神社の本殿
        若宮神社の本殿

本社ご本殿と同じ春日造り
規模も造りも本社ご本殿とほぼ同じだそうです。

建立は平安時代後期保延元年(1135年)
春日大社本社の歴史より400年ほど浅くなります。

若宮神社本殿の手前にある拝舎(はいのや)
       拝舎(はいのや)

手前にある石畳をがひかれた建物は拝舎(はいのや)で、
祭典のときは、神職がここに座ります。

細殿と神楽殿
  細殿(手前)と御廊(中)と神楽殿(奥)
神楽殿
           神楽殿

若宮神社本殿に向かい合って、「細殿及び神楽殿一棟」があります。

平安時代末期の寝殿造り
北側の3間が細殿(ほそどの)、
真ん中の1間が御廊(おろう)
南側の6間が神楽殿で、
3つが合わさって一棟の建物になっています。

鎌倉時代の絵巻「春日権現験記」には、現在と変わらない姿の細殿・神楽殿が描かれており、
おん祭などの祭祀の際には、890年近く経った現在も平安時代と変わらず社伝の神楽が神楽殿で奉納され続けています。

 

手力雄神社・通合神社

若宮神社本殿の両脇には末社が建てられています。

北側が「通合神社」
=若宮神社初代神主中臣祐房朝臣を、
南側が「手力雄神社」
=天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)をお祀りしています。
天手力雄命は天照大神が天の岩屋戸に隠れたとき岩戸を開いて引き出した神様です。

 

若宮神社 手水屋一棟

若宮神社 手水屋一棟(夫婦大国社)
   若宮神社 手水屋一棟(夫婦大国社)

若宮の神饌(お食事)調理所だった建物で、
社の内部には竈(かまど)が残されており、
(流し台は蓋がされていて見られない)
屋根には煙を排出する「櫓煙出し(やぐらけむだし)」が見られます。

現在は「夫婦大国社」となっていて、社内には平安時代に出雲大社からご神霊をお迎えしたという大国様が、后神須勢理姫命(すせりひめのみこと)夫婦で祀られています「夫婦円満・家庭安全」など、恋愛パワースポットといわれ、かわいい縁結びのお守りや水占いなどもあり、女性に人気です。
若宮15社巡りの受付・15番札所になっています。(上の境内図の15番のところです。)

ちなみに、夫婦大国社の前に手水舎があるのですが、春日大社本殿の方から若宮神社に来る場合、一旦若宮神社を通り越すことになります。若宮神社への階段をのぼらず、下道を進むとすぐに夫婦大国社入口があり入ったすぐ左手にあります。事前に知らないと分かりづらいと思いますが、これでもう大丈夫ですね!

 

春日若宮おん祭

当時、洪水・飢饉・不作・疫病などの難がつづき、若宮様の御神威を頼って若宮神社を建立した翌年の1136年に、若宮さまを春日野にむかえて祭礼を奉仕し祈祷したのが始まりとされます。以後、毎年人々の健康と五穀豊穣を願い大和一国を挙げて盛大に執り行われ、現在にいたるまでの890年近く、途切れることなく引き継がれています。

奈良市最大にして重要なお祭りとして日本全国にも広く知られるこのお祭り、その名も「おん祭(御祭)」は、12月15日~18日に執り行われますが、その準備としての祭礼は早いもので7月から行われています。

おん祭の最も要の日は17日で、深夜に若宮さま(御神体)を御旅所(おたびしょ)に神幸し(神さまをお連れすること)、御旅所前の芝舞台お神楽などのさまざまな日本の伝統芸能を奉納して感謝の意とお願い(五穀豊穣・無病息災)をお伝えします。御旅所の若宮さまのもとへ向かう関係者の行列は平安時代から江戸時代までのさまざまな衣装を身にまとっていて、とても華やかで見応えがあります。
ちなみに、「芝居」の語源は、この芝舞台で芸能を見たことからきています。

若宮様を深夜に神幸する際は
参道一帯の街灯などは全て消され、
松明の明かりだけがあたりを照らし、神官の絶え間ない警蹕の声(みさきのこえ)*だけが静寂な夜に響きます。
見物人も懐中電灯など光るものは禁止、私語・写真も禁止です。
間違えてフラッシュなどたいてしまったら、もう、最悪です。

*「警蹕(けいひつ)」とは、もともと貴人や天皇が通行する際に、不敬の行為をしないように先払いが声をかけて注意し警戒する、かしこませるという意味で、時代劇でいうと「したぁにぃ~ したぁにぃ~」ってやつです。
神事では「お~、お~」と発します。

17日の行事(おん祭の中心神事)

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遷幸の儀(せんこうのぎ)午前0時 = 若宮さまを御旅所へお連れします。

暁祭(あかつきさい)午前1時 = 御旅所で若宮さまに献饌し神楽を奉納する(朝のお食事をお供えし、歌声・笛・鼓を奏上する)

本殿祭(ほんでんさい)午前10時 = 春日大社本社若宮で、おん祭の無事斎行を祈る

お渡り式(おわたりしき)正午 = 御旅所の若宮さまのもとへ、祭礼関係者や芸能集団の人々が華やかな装束をまとい、奈良市街地を練り歩く。平安時代から江戸時代の風俗が見ることができる華やかな伝統行列。

南大門 交名の儀(きょうみょうのぎ)午後1時前後 = 行列が興福寺に敬意を表し名乗りをあげながら南大門を通過する。興福寺は藤原氏の氏寺で、神仏習合の時代には春日大社と一体となっていた。
松の下式(したしき)= 途中、「影向の松(ようごうのまつ)」の前でそれぞれの芸能の一節が披露される。
影向の松は、春日大明神が現れて舞を舞ったとされる松で、現在の能舞台の後ろに描かれているのはこの松とのこと。
競馬 = 2頭で競われるが勝敗の結果によって御旅所で披露される舞楽の勝負舞の順番が決まる。
稚児流鏑馬(ちごやぶさめ)= 稚児(子供)が行う流鏑馬のため、馬を止めて射る。

お旅所祭(おたびしょさい)午後3時半~10時半ころまで = 神楽(かぐら)、東遊(あずまあそび)、田楽(でんがく)、細男(せいのお)、猿楽(さるがく)、舞楽(ぶがく)、和舞(やまとまい)が御旅所前で奉納される。
ちなみに、奉納される芸能の中でも、五穀豊穣・悪疫退散の意味をもつ「田楽」は、おん祭の由来であるため、最も重要とされてきました。

還幸の儀(かんこうのぎ)午後11時 = 若宮さまを本来鎮座される若宮神社へお還しします。

お祭で奉納されるお神楽・舞楽・雅楽・猿楽などの芸能は「春日若宮おん祭の神事芸能」として1979年(昭和54年)に重要無形民俗文化財に指定されており、中世以前の芸能として継承・保存されています。また、おん祭の祭礼様式は後の日本の祭礼様式に大きな影響を与え、芸能の発展に果たした役割は大きいそうです。


  • 住所:        〒630-8212 奈良県奈良市春日野町160
  • 電話番号: 0742-22-7788
  • 参拝時間:    3月~10月は、AM6:30~PM17:30
    11月~2月は、AM7:00~PM17:00
  • 休観日:  無
  • 拝観料:   (本殿とほぼ同じ造りを無料で、より近くで拝観できるので得した気分です。)
  • 駐車場:  有料 乗用車1,000円、バイク300円、バス3,000円

※平成31年4月現在