得得サイト パワースポットの旅 出雲編  稲佐の浜

パワースッポットの旅 出雲編
稲佐の浜

 

こんにちは!
のいしちゃんです。
今回はパワーてんこ盛りの砂浜「稲佐の浜」です。

稲佐の浜

出雲大社から西へ、
ひたすら歩くこと20分くらい(?)
(車だと3分ほどでした。)で
弁天島
が見えてきます。

 

突き当たった道を渡って、海岸へ降りると
『稲佐の浜』の真っ白な砂が!

真っ白な砂浜と美しい海岸線が続く『稲佐の浜』は、日本のなぎさ100選に選ばれています。
そしてこの真っ白な砂にはご利益がいっぱいあるんです。
詳しくは後ほど。

 

まずは、弁天島のご祭神豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)」にご挨拶。

 

弁天島

稲佐の浜に一際目立つ大きな岩があります。

この岩こそ弁天島ですが、古くは「沖之御前」といい、砂浜から30メートルほど沖にありました。

昭和40年代までは、夏祭りなど弁天島にお参りする時は臨時の木橋が架けられ、橋を渡って参拝していたそうです。

ところが、・・・
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昭和40年代後半から砂の堆積が目立つようになり、ついには陸つづきとなり、
20年くらい前からは歩いて渡れるようになったとのこと。防波堤や漁港の整備による潮流の変化や湾に注ぐ神戸川周辺の環境変化などが起因しているとみられています。神話伝承の地の環境・景観の変化に、地元では問題視の声もあがっているようです。

 

この弁天島にある沖御前神社には神仏習合のころは、弁財天が祀られていましたが、

現在は豊玉毘古命(トヨタマヒコノミコト)が祀られています。

明治頃からということなので、廃仏毀釈の影響と思われますが、

島が「弁天島」と呼ばれているとおり、弁天さまは人の心の中からは消し去れなかったのでしょう。

 

豊玉毘古命

豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)は海の神様です。

豊玉毘古命のおはなし

「豊玉彦命」とも表記され、・・・
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「豊玉彦命」とも表記され、日本書紀では「海神豊玉彦(わたつみとよたまひこ)」の表記で登場しています。「海神(わたつみ)」とは日本神話の海の神様のことで、転じて海・海原そのものを指す場合もあるそうです。

娘の「豊玉姫命(=豊玉毘売命 とよたまひめのみこと)」は、神武天皇(初代天皇)の祖母とされていますが、この父娘は協力して統治していたようです。

「豊玉彦」・「豊玉姫」のように、ヒメ・ヒコのペアで統治を行う体制はヒメヒコ制と呼ばれます。

ヤマト王権が成立する前後の古代日本では、祭祀的農耕従事的女性集団の長を「ヒメ」、軍事的戦闘従事的男子集団の長を「ヒコ」と称して、分業し協力して一定地域を統治していたことが「古事記」や「日本書紀」、「播磨国風土記」に記されています。

また、そのような女性・男性の首長は、その地の神社の由来となっていることも多く、ヒメ・ヒコを神社名やご祭神名にしている地域はかつてヒメヒコ制の統治下にあったことがわかります。

 

豊玉毘売命

豊玉毘売命(=豊玉姫命 とよたまひめのみこと)は、豊玉毘古命(=豊玉彦命)の娘で、上の豊玉毘古命のおはなしでもご紹介しましたが、父の豊玉毘古命と共に協力して統治していました。

豊玉姫命は神武天皇(初代天皇)の祖母とされている尊い神様ですが、・・・
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出産の場面を夫の「火遠理命(ほおりのみこと)」にのぞかれてしまい、夫婦別離の悲劇の人生(神生?)をおくります。

火遠理命(ほおりのみこと)は兄から借りた釣り針を海でなくしてしまい、海の神である豊玉彦命の宮を訪ねます。

そこで豊玉姫と出会い、夫婦として3年間をその宮で過ごしますが、夫の心中を察した豊玉姫は、父に頼んで釣り針を見つけて、夫・火遠理命を地上へと帰還するよう取り計らいます。
その時子を宿していた豊玉姫は、お産の時は海辺にあがるので、用意して待っていてほしいと告げます。

約束どおり海辺で二人は再会し、豊玉姫は火遠理命に「出産のときは、生まれた世界の姿で子を産むので、見てはならない。」と伝え、産屋に入ります。

不思議に思った火遠理命は中をのぞいてしまいます。火遠理命がそこで見たものは、豊玉姫が巨大な八尋鰐(やひろわに)、つまりサメとなってのたうちまわっている姿でした。

本来の姿を見られてしまった豊玉姫は、恥ずかしさと怒りで、生まれた御子を置いて海の国へと戻り、海への道を閉ざしてしまいます。(ちなみにこの御子とは、初代神武天皇の父で「鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズのみこと)」で農業と漁業の神様です。)

この神話は人間と違った種類の存在と人間とが結婚する「異類女房譚(いるいにょうぼうたん)」の説話類で、女から課せられた約束を男が一方的に破り別離を招くという、異類女房譚のパターンです。現代でいえば、「鶴の恩返し」もこの部類ですね。

また、神武天皇の父も登場して始祖誕生のニュアンスをふくめ、神々による国土統治の神代の終わりを暗示しているとも言えます。

 

国譲りの地

稲佐の浜は国譲り神話の舞台となった場所です。

また、一年に一度、全国の神々が出雲大社に集い会議を行う際には、この稲佐の浜にまず降り立ち、出雲大社へ向かうと言われています。

旧暦10月10日の夜には、出雲大社の神迎祭」と呼ばれる神迎えの神事が行われます。

私たちは、10月は「神無月」といいますが、ここ出雲には全国のからたくさんの神々が集まるので、神在月と言います。

神様がいっぱいいらっしゃるなんて、10月に出雲にいるだけでご利益がありそうに感じませんか?

 

全国の神様をお迎えする神聖な地、稲佐の浜は出雲のパワースポットで、
夏は穏やかで白い砂浜と青い空の美しい景観ですが、
冬は一転して荒れ狂う日本海の厳しさが感じられるそうです。

国譲り~出雲大社の誕生

国譲りの神話は、大国主大神が少名彦神と造り上げた地上の出雲の国を、天上界の神々(天照大神など)が手に入れようとするお話です。

国譲りのおはなし

天照大神は天上界から・・・
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豊かで素晴らしい出雲の国を見て是非手に入れたいと思い、大国主大神のもとへ使者を遣わせ、出雲の国を手に入れようとします。

度々使者を遣わせては失敗におわり、遂には力づくで手に入れようと、建御雷神(たけみかづち)と天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を遣わせます。

2人の神は稲佐の浜に大きな剣を立て大国主大神に国を譲るように迫ると、大国主大神は「二人の息子にも聞かないと決められません。」と応えました。

そこで2人の神は息子のうちのひとり、事代主神(ことしろぬしのかみ)のもとへ出向きます。

事代主神は国譲りをあっさり認め隠れてしまいました。

 

もう一人の息子は力の強い、建御名方神(たけみなかたのかみ)で、建御名方神は建御雷神と力勝負を挑みますが、これまたあっさり負けてしまい、諏訪(長野県)まで逃げてしまいましたが、追いかけてきた建御雷神に国譲りを認め、さらに諏訪の地から出ないと約束させられてしまいます。

以後、建御名方神は諏訪で鎮まる(暮らす)ことになりますが、建御名方神が暮らしたその場所には、後に社が築かれ(諏訪大社)、現在も戦神として祀られています

この建御名方神と建御雷神との力勝負は相撲の起源と云われています。

 

この結果、大国主大神は国を譲ることを決心します。

 

国を譲ることを決心した大国主大神は、条件をだします。
大国主大神が鎮まる(暮らす)ための立派な宮を建てること(出雲大社の創建)、
そして天つ神(天上界)の子孫が栄えていくのと同じように自分の子孫も絶えることのないように約束し、その証として「神の火」を燃やし続けること。

その交換条件として天照大神は大国主大神に黄泉(よみ)の国の政務をとることを言い渡しました。

国をとられたり、黄泉の国には行かされたり、なんだか大国主大神さまがかわいそうです・・・

 

屛風岩

国譲りの舞台は稲佐の浜ですが、正確にはこの「屏風岩」の前で行われます。

 

屏風岩

 

高天原(天上界)から使者として遣わされた武甕槌神(たけみかずちのかみ)と大国主大神は、この岩を背にして、国譲りの話し合いをします。

武甕槌神は大国主大神と国譲りの交渉を上手く成立させた雷神・剣神・武神として鹿嶋神宮(茨城県)、春日大社(奈良県)に祀られています。

 

屛風岩は稲佐の浜から50メートルほど陸地へ入ったところの、一般の方の家の敷地内ではないかと思われるようなところにあります。もし見に行かれるときは、御迷惑にならないように、気をつけましょうね。