得得サイト パワースポットの旅 出雲編 出雲大社 Vol.4 御本殿

パワースッポットの旅 出雲編
出雲大社 Vol.4 御本殿

 

こんにちは!
のいしちゃんです。

今回はいよいよご本殿です!

出雲大社 御本殿

出雲大社本殿1
出雲大社本殿
出雲大社本殿

天下に並ぶもののない壮大な神殿、「天下無双の大厦(てんかむそうのたいか)」と称えられたご本殿は、日本最古の神社建築様式で、「大社造」です。

その高さ(地面から千木の先端)は大厦と表現されるにふさわしく8丈(24メートル)にも及び、中央の柱(心御柱=しんのみはしら)の直径は1.1メートルもあります。
(下の写真の人を見ると、本殿の大きさが分かりやすいかも。)

神社建築としては我が国最大級で、昭和27年(1952年)に国宝に指定されています。

以下、平成の大遷宮にともなって、2008年に「ご本殿 特別拝観」と称し一般公開された様子を交えてお話していきたいと思います。

ご本殿の内部

ちょっと高めの階段(=木階きざはし)15段を登ったご本殿内部は約60畳の畳の間で、
九本の柱が田の字型に配置された正方形の間取りになっています。

特別拝観とはいえ、さすがに畳の間にはあがれないので、ご本殿のを一周し、
正面西側の蔀(しとみ)から、神職の説明を聞きながら内部を拝観します。

蔀から本殿内部を拝観する様子

大国様は板壁(板仕切)の奥の御内殿、
「御神座」のところに西向きに鎮座されています。

御内殿の前室には別天神(ことあまつかみ)五柱の神が、南向きにご鎮座されており、
又、中心にある心御柱の近くには大国主大神の御子神である和加布都努志命=わかふつぬしのみこと(牛飼神)が南向きにお祀りされています。

別天神(ことあまつかみ)とは・・・続きを読む
天と地がはじめてできた原始のときに
八百万の神にさきがけ、はじめて高天原(天界)に現れた神さまのことです。別天神五柱のなかでも、最初にあらわれた三柱の神さまを「造化三神(ぞうかさんしん)」と呼びます。
天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)=造化三神
高御産巣日神(たかみむすひのかみ) =造化三神
神産巣日神(かみむすひのかみ)   =造化三神
宇麻志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)
天之常立神(あめのとこたちのかみ)

本殿内部の絵図

特別拝観のしおりの「御本殿」の説明

出雲大社は、数々の御試練を克服され、国土経営の大業を成し結ばれた「大国主大神」をお祀りするお社です。

大国主大神は国づくりした国土を天照大神に奉還され、その御功績を称えられた天照大神が特に諸神に御造営を命じられたお住まいの宮殿が、最古様式の神社建築である御本殿です。

現在の国宝御本殿は延享元年(1744年)に御造営され、
古今を通じて日本第一の宮殿の様相を失わず、古くから
天下無双の大廈」と称えられてきました。

御本殿の構造は、古代様式である「大社造り」の典型で、
屋根は切妻、殿内へは妻入り、妻側の梁間が正面となっています。

ご本殿を形作る周囲八本のお柱はすべて円柱で、殿内の中心には心御柱-しんのみはしら(岩根御柱)と称する太柱があります。

この心御柱と向かって右側の側柱との間は板壁となって殿内が仕切られ、この壁の奥に御内殿(御神座)があります。御神座は南向きではなく、西向きにご鎮座されています。

鏡天井には”八雲”が描かれています。
また、高欄のついた縁は4周を廻り、正面の御扉前の縁先には、木階十五段と浜床がしつらえられています。

高さ 24m
心御柱(しんのみはしら)  11.8m  直径1.1m
宇豆柱(うずばしら)    15.5m  直径0.87m
側柱(かわばしら)     11.8m  直径0.727m
              幅 前面3.64m  左右後2.73m
千木(ちぎ)   長さ7.9m 幅0.76m 厚さ0.21m
勝男木(かつおぎ)長さ5.45m  周囲2.67m
屋根  厚さ0.91m  面積177坪

 

 

八雲の図

天井には八雲が描かれています。
本殿天井の八雲之図

作者は竹内随流 斎甫(せいほ)(一説には狩野派の黒田弥兵衛)、1744年の造営遷宮の際に描かれ、一度も塗り替えられたことはないそうです。

絵具は天然のもので、宝石の粉をニカワで溶いたものを使っているそうです。

上の絵だと全体にオレンジっぽく見えますが、実際は赤・青・黄・紫・黒の極彩色でバランスよく描かれていて、実物は全く劣化してなく、260年あまり経た現在も色鮮やかに残されています。

真ん中の大きな雲の一部だけに黒色が使われていて、そこに最後にいれ(「心」入れ)がされたようです。

描かれている雲は全部で7つ。
完成=崩壊・消滅へとむかう始点としないように、ひとつ足りない不完全な状態とし、永久に続く又は益々繁栄する神々(祀られている神々)の神威やお社・信仰心を表したのではないか、と言われています。
また、出雲大社を語るに欠かせない、とても重要な松江市にある神社「神魂神社(かもす神社)」に飛んで行ったという説もあります。ちなみに神魂神社の雲は9つ描かれています。

そして、ひとつだけ、向きの違う魂(あ、雲でした)があります。
何故逆向きなのかは不明ですが、やはり「完成させない、永遠」という見方が主流のようです。
(この雲が私にはどうしても魂を連想させるのですが、「瑞雲(ずいうん)」と呼ばれる、おめでたい時に現れる雲だそうです。)

御本殿天井八雲之図
(特別拝観のしおりより)

中央が心の御柱、北側が上段、南側が下段部にあたる。

北側空白部は御内殿の位置である。

八雲は造営遷宮に際して描かれたものであるが、起源については詳らかではない。

下段中央にある最も大きい雲は「心(しん)の雲」といい、
遷宮斎行直前の午の刻(正午)、黒雲の部分に「心」入れという秘儀が行われた。

これにより「天下泰平・国土安穏・朝廷宝位無動・仁民護幸給」等が祈られ、子の刻(午前零時)、遷宮が斎行された。

雲の配置、配色、逆光の一雲等、秘められたものが多い。

 

古代の出雲大社 御本殿

現在の御本殿の高さは約8メートル。
1744年(延享元年)に建てられ、
度々御造遷宮と御修造遷宮を繰り返し
今にその姿を受け継いでいますが、
中古の時代(平安時代中期~鎌倉時代)には
48メートル、それ以前の往古の時代には96メートルあったとも言われています。高さ48メートルは15階建てのビルに相当する高さです。地上からご本殿入口までの階段は「1町」=約109mもあったそうです。
古代出雲大社の模型
古代出雲大社の模型
島根県立古代出雲歴史博物館

一般の木造住宅でさえ強度・耐震を考えて建築したにもかかわらず災害で崩壊してしまったりするのに、そんなに高い木造建築物が本当に実存したのだろうか?と素人の自分でも疑問に思ったのですが、京都大学名誉教授と株式会社大林組のプロジェクトチームの検証の結果、48メートルの”空中神殿”は当時の技術で建設可能であったことが立証されていました。

ただ、やはり構造は弱かったようで、
約200年の間に7回も倒壊したそうです。
96メートルという高さは現在の技術を以てしても難しく、さすがに俗説であるようです。

大林組の検証は、出雲大社の宮司家に伝わる古代の出雲大社本殿の絵図面「金輪御造営差図(かなわのごぞうえいさしず)」と「中古十六丈」という言い伝えをもとに始められましたが、その約二十年後の2000年(平成12年)に、出雲大社 境内で3本の柱が見つかったことでその信憑性が証明され、48メートルの巨大神殿が実在したことはほぼ確実とされています。

古代出雲大社の宇豆柱の発掘現場
事の発端は拝殿の祭礼準備室を地下に造ろうと事前の調査を開始した際に、おびただしい数の石が埋められた場所があり、その中から柱が発見されたことでした。
最初に発見されたのは宇豆柱で、「金輪御造営差図」のとおり、3本の木が束ねられた状態で見つかりました。絵図に基づいて発掘を進め、心御柱南東の側柱も発見されています。
柱の表皮を年輪年代測定法や放射性炭素の(C14年代)測定法で分析した結果が1227年に形成されたものであることや、考古資料・絵画、文献記録などの調査から、1248年(鎌倉時代前半)に造営されたご本殿の柱であるとみられています。

発掘された場所は八足門と拝殿の間のスペースで、出土した位置は赤御影石で標されています。

御柱の出土位置を示す赤御影石
鎌倉時代の出雲大社本殿の平面図

心御柱は直径140㎝の杉の巨木を3本束ねたもので、その直径は3mもあったそうです。

現在の心御柱は一本のみで直径1.1m、
桁行・梁間10.9mの正方形から比べると、
本殿そのものの大きさと比較して柱がすごく太いものだったことが分かります。

地下の柱のまわり(柱穴)には、人の頭ほどの石が敷き詰められていて、掘立柱の構造が明らかになりました。

発見現場の心御柱とその模型

宇豆柱の発見と古代出雲大社の本殿について

出雲大社境内の案内板

柱は境内地下を流れる豊富な地下水のおかげで当時の姿をとどめて発見され、発掘された宇豆柱は「古代出雲歴史博物館」に展示されています。

古代出雲歴史博物館に展示されている発掘された宇豆柱
古代出雲歴史博物館に展示されている宇豆柱

 

巨大な神殿建設の意図は、

  1. ヤマト政権に対する出雲王朝の勢力の誇示
  2. 大国主命の祟りを恐れた天津国側が大きな社殿を建てて祀った
  3. 大国主信仰の大国主さえヤマト政権に従ったと天津国が権威を誇示した

など諸説あります。

その他にも

  • 「巨大な柱」を通じて神々と人間の住む地上を結んだ
  • 幽世(かくりよ)を司る大国主命が天に近づけるため
  • 空中高くにそびえていた本殿に神体山を収めようという意識があったのでは

などともいわれています。

日本海航路を利用した交易・青銅器生産などによって栄えた勢力は出雲王朝だったのか、
出雲邪馬台国説、ヤマト邪馬台国説、
九州邪馬台国説、出雲VSヤマトなどなど、
さまざまな論争が絶えません。

いつか、結論がでる日はくるのでしょうか?

事実を解明するのと、
タイムマシンを発明するのは
どちらが難しいんでしょう?

出雲大社

0853-53-3100
島根県出雲市大社町杵築東195
参拝時間 3月〜10月 6:00~20:00
     11月〜2月 6:30~20:00
御祈祷の受付は8:30~16:30
※20時以降、荒垣内(銅鳥居より先)は閉鎖されます。