大親寺
桃尾の滝から500mほど、登ります。
道すがら石垣や石仏などが見られ、かつての大伽藍が偲ばれます。
大親寺の地は、冒頭で述べた桃尾山蓮華王院龍福寺の境内で、
明治の廃仏毀釈令がでるまでは、阿弥陀堂が建っていました。
大正七年、その跡地に不動堂が建てられ、「大和桃尾山大親寺(だいしんじ)」と号されました。
静かな木立の中、
やわらかい苔の絨毯が敷かれ
情緒あふれるお寺でした。
石上神社
大親寺から桃尾の滝へもどり、
国道方面へしばらく行って
ちょっと登ったところにあります。
(大ざっぱな説明ですみません。分岐点に道しるべがあるので迷うことはないと思います。)
石上神社(いそのかみじんじゃ)も、かつて桃尾山蓮華王院龍福寺の境内で、
その山内絵図には「平大明神社」と記された小さな祠が描かれているそうです。
石上神社は、石上神宮(市街地にほど近い布留山のふもとにある)の元宮とされ、
石上神宮を里神と称するのに対して、石上神社は山神の呼び名があります。
と、ネットではよく見るのですが、
石上神宮にはもともと本殿はなく、拝殿の後方に「禁足地」と呼ぶ場所があって、そこにご神体が埋まっていたそうです。
このご神体は崇神天皇(すじんてんのう 紀元前148年~紀元前30年)に祀られたもので、「石上神宮」と呼ばれていた、と石上神宮のホームぺージで紹介されています。
以下、石神神宮の公式ホームページより抜粋
『当神宮ご鎮座当初からのものかどうかはあきらかではありませんが、古来当神宮の御神体が鎮まる霊域として「石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)或いは「御本地(ごほんち)」、「神籬(ひもろぎ)」などと称えられてきました。』
また、御神体については「歴史」として
『当神宮は、日本最古の神社の一つで、 (中略)
総称して石上大神(いそのかみのおおかみ)と仰がれる御祭神は、第10代崇神天皇7年に現地、石上布留(ふる)の高庭(たかにわ)に祀られました。古典には「石上神宮」「石上振神宮(いそのかみふるじんぐう)」「石上坐布留御魂神社(いそのかみにますふつのみたまじんじゃ)」等と記され、この他「石上社」「布留社」とも呼ばれていました。』とあります。
崇神天皇(すじんてんのう)は日本書紀に登場する第10代天皇で、紀元前148年~紀元前30年というからびっくりです。
日本最古というのも、最もですね。
明治時代にその禁足地を発掘調査したところ、
実際にご神体とする「布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)」が
伝承のとおりに発見されました。
ちなみに、発掘された「布都御魂剣」はあの、八岐大蛇をたおした剣です。
(桃尾の滝には、八岐大蛇が剣となって降臨したという伝説もあります。)
結局、石上神宮のホームページでは石上神社との関係を確認することができませんでした。
とはいえ、石上神社と石上神宮は
御祭神も同じだし、気になりますので
宿題として、何かわかったらまたアップしたいと思います。
石上神宮は物部氏の総氏神を祀る物部氏ゆかりの宮ですが、
物部氏の祖神は「饒速日命(にぎはやひのみこと)」という説があります。
物部氏VS蘇我氏、神話、神武天皇東征、邪馬台国など
考えると果てしない、
ロマンとしておきましょうか、
その因果関係も、いつかアップしたいと思います。
宿題がいっぱい。
いつか・・・
いつか。。。