パワースッポットの旅 出雲編
出雲大社 Vol.2
「だいこくさま」
こんにちは!
得得サイトです。
今回は出雲大社の御祭神、
「大国主大神 = だいこくさま」についてです。
大国主大神
神の国・神話の国として知られている出雲の国には、神々をお祀りする古い神社が今も至る処にあります。
出雲大社はその中心となる神社で、ご存知のとおり、主祭神は大国主大神さまをお祀りしています。
大国主大神さまは
「だいこくさま」として広く慕われ、日本全国でお祀りされている人気の神さまですが、そのご神徳はたくさんあり、一番有名なのは、やはり国造りでしょうか。
出雲大社の松並木の参道をぬけると、
左手に手水舎があり、その向かい側(右手)を少し入ったところに、
「ムスビのご神像」と呼ばれる、大国主大神さまの像があります。
この「ムスビのご神像」は、何故だいこく様が「縁結びの神さま」と呼ばれるのか、その由縁を表現しています。
それは大国主大神さまの国造りと、
この波の像の上にある玉に関係しています。
幸魂奇魂
波の上に光輝く玉は
【幸魂(さきみたま)】
【奇魂(くしみたま)】です。
幸魂とは人を守り幸福を与えるという神霊、奇魂とは神秘な力をもつ神霊とされていて、
幸魂 奇魂をものすごく簡単に言うと、神道の概念で自分の心の中にある幸福をもたらす魂(考え方・感情)のことと言えます。
大国主大神さまが国造りを成し遂げられたのは、この幸魂奇魂のお力があったからこそでした。
- このお話は大国主命(大国主大神さま)と大物主(大和の三輪山)との神話に登場します。・・・
続きを読む - 大国主命は神産巣日神(かみむすひのかみ)の御子・少名毘古那神(すくなびこなのかみ)と協力して国造りをしていましたが、もう少しというところで、少名毘古那神は突然、常世の国へ旅立ってしまいます。
途方にくれていた大国主命のもとへ光輝く玉がやってきて
「私はあなたの幸魂奇魂です。
私を祀り祈るならば、必ず国造りを成し遂げられるでしょう。」と告げました。自分たちの力で国造りをしてきたと思っていた大国主命は、
この言葉を聞いてはじめて、自分の心の中には大祖神から賜った幸魂 奇魂があり、その神力によって成すことができたことを悟ります。それから大国主命は幸魂 奇魂を祀り、国造りを成し遂げられました。
そして、この地上の全てのものが安らかに暮らせるように導かれました。
- 幸魂奇魂の神話は、古事記・日本書紀にも見られます。・・・
続きを読む・・・ - 古事記・日本書紀
『古事記』
(大国主大神と一緒に国造りをなされた少名毘古那神が常世国に渡ってしまわれて、)そこで大国主神は嘆かれて「私独りでどうやってこの国を作ることができるだろうか。どの神と一緒にこの国をよく作っていけるだろうか」と仰せられた。その時海を照らして来られる神があった。
その神が言われるには
「よく私を祀ったなら、私と共に国を作ろう。
もしそうでなければ国造りは難しいだろう。」と仰った。そこで大国主神が言われるには
「それでは、どのようにお祀りしたらよいだろうか」と聞かれると「私を大和の周囲を青垣のように巡っている山の東に祀りなさい。」と答えられた。
これは御諸山(みもろのやま)の上にいらっしゃる神である。
同じ話ですが、日本書紀ではもっと詳しく書かれていす。
『日本書紀』
(少彦名神が常世国に渡ってしまわれて、)これより後、国の中でまだできていないところは、大己貴神(大国主大神)が独りで巡ってよく国造りされた。ついに出雲国に至って言葉に出されて
「葦原中国(日本の国のこと)は元々荒れていた。岩や草木に至るまでことごとに暴れていた。しかし、私は既にくじいて皆従わないものはない。」
そして、
「今この国を治めるのは私独りだけだ。私と共に天下を治める者はいるだろうか。」と言われた。その時、不思議な光が海を照らし、突然浮かび上がってきたものがあった。そして、
「もし私がいなければ、汝はどうやってこの国を平らげることができただろうか。
私の存在があったから、汝は国造りの大きな功績をあげることができたのだ。」と言われた。
この時に大己貴神(大国主大神)は「それでは汝は誰だ。」と聞かれた。
それに答えて「私は汝の幸魂奇魂だ。」と言われた。
大己貴神は「そうだ。了解した、汝は私の幸魂奇魂だ。今どこに住みたいと思うか。」と聞かれると、
「私は大和の三諸山に住みたいと思う。」と言われた。
そこに宮を作って住まわれた。これが大三輪の神である。
幸魂(さきみたま)の「サキ」には、花が咲く、伸び広がるという意味があり、
奇魂(くしみたま)の「クシ」には、櫛、櫛で髪の毛をとかして整えるという意味があり、
伸びて繁茂しながら枝分かれする力を整える力の意で、現代で言うと克己心(成長しようとする心と自分の感情や欲望をコントロールして良くする心)といったところでしょうか。
つまり、生きることの根源には神様からいただいた霊魂のはたらきがあり、
自分の中のその霊魂を「幸魂奇魂」と表現したのです。
『出雲大社の御祭神大国主大神はこの幸魂奇魂の”おかげ”をいただいて神性を養われ「ムスビの大神」となられました。
生きとし生けるものすべてが幸福になる「縁」を結ぶ”えんむすびの神”と慕われるゆえんであります。
およそ人が人であるということは幸魂奇魂というムスビの”みたま”をわが身にいただいて霊止すなわち人として生かされているからであります。』
とありました。
幸魂 奇魂は現代の私たちの心の中にもあり、その調和とバランスをとって日々行動していると言えます。
このご神教にちなんで、出雲大社では
と唱してご神縁を祈念されるそうです。
私たちも大国主大神さまに神習って心を込めてこの神語を唱え、
神の御心に叶う暮らしをすれば、
大神さまから幸魂奇魂のお力をいただく事ができるかもしれませんね。
大国主大神のご神名とご神徳
私たちは大国主大神さまを親しみを込めて「だいこくさま」とお呼びしますが、
だいこくさまには、古来からたくさんのご神名があります。
そのひとつに、
「所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)」というご神名があります。
このご神名は、遠く神代の昔、私たちの遠い祖先たちと喜びや悲しみを共にしながら国土を開拓された事(国造りの大業)に由来しています。
「天の下に所(国)を造った神さま」ですね。
だいこくさま(所造天下大神さま)は国づくりの最中、農耕・漁業・殖産から医薬の道まで、私たちが生きて行く上で必要な様々な知恵を授けてくれたとされていて、そのためご神格は
・国造りの神
・縁結びの神
・農業の神
・商業の神
・医療の神
・幽冥の神
と、たくさんあります。
ご神徳(ご利益)も
縁結び、子授かり、夫婦和合、 病気平癒、商売繁盛、五穀豊穣、 産業開発、交通・航海の守護、 養蚕守護 などなど、
たくさんありますが、だいこくさまと言えばやはり、縁結びの神様と真っ先に思い浮かぶのではないでしょうか?
この、だいこくさまが結んでくださる“縁”は男女の縁だけではなく、人と人との出会いはもちろん、仕事や物事と出会うタイミングなど、人々を取り巻くあらゆる繋がりのご縁です。
だいこくさまは、”生きとし生けるものが共に豊かに栄えていくための貴い結びつき(である)、目に見えないご縁を、悠久なる歴史の中で、代々の祖先の歩みを常に見守られ、結んで下さっている” とのことです。(出雲大社ホームページより)
【大国主大神さまのいろいろなご神名】
まず「大国主大神」ですが、その字のとおり「偉大な国の主人」の意味です
- 大己貴神/大穴牟遅神(おおなむち/おおあなむち のかみ)・・・尊い偉大な神
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- 大物主神(おおものぬし のかみ)・・・大いなる、「もの」(を司る)神(別神の説もあり)
- 御諸山上坐神(みもろのやまのうえにますかみ)・・・御諸山(三輪山)に鎮座する神
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- 大国魂神(おおくにたま のかみ)・・・偉大な国の神
- 幽世大神(かくりよ の おおかみ)・・・あの世の神
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- 顕国魂神/宇都志国玉神(うつしくにたま のかみ)・・・現実の国の神
など、上記はほんの一例で、その他にも多くのご神名があります。
中にはびっくりするようなものもあって、「葦原醜男(あしはらのしこを)」 (根国での侮蔑を込めた呼称で、「地上の現実の国にいる醜い男」の意味)なんてものもあります。
「醜男」はさておいて、ご神名はその神様のステータスや功績などで呼ばれていますので、伝説などを知れば知るほど、イメージしやすいかもしれませんね。
大国主大神のご鎮座の由縁
大国主大神さまは国造りを成し遂げ、
その国を天照大神さまに譲られた際に建てられたお社(現在の出雲大社)にご鎮座しました。
- 詳しく読む
-
大国主大神様が国づくりによって築かれた国は、豊葦原の端穂国と呼ばれ、あらゆるものが豊かに、力強く在る国でした。
大神様は国づくりの後、築かれた国を私たち日本民族を遍く照らし治める天照大神さまへとお還し(国土奉還=国譲り)になりました。そこで天照大神さまは国づくりの大業をおよろこびになり、その誠に感謝なさって、
『これから後、この世の目に見える世界の政治は私の子孫があたることとし、あなたは目に見えない世界を司り、そこにはたらく「むすび」の御霊力によって人々の幸福を導いて下さい。また、あなたのお住居は天日隅宮(あめのひすみのみや)と申して、私の住居と同じ様に、柱は高く太い木を用い、板は厚く広くして築きましょう。そして私の第二子の天穂日命をして仕えさせ、末永くお守りさせます。』と申されました。こうして大国主大神さまは目に見えない世界を司られ、天照大御神さまの御命令によって高天原の諸神がお集まりになり、大国主大神様のために宇迦山の麓に壮大なる宮殿が造営されました。そして大国主大神さまは永久にお鎮まりになって、人々の幸福のために慈愛をそそいで下さることになり、今に至るまで厚い信仰をお受けになっています。
この荘厳な御社は、天日隅宮を始め様々な名称で称えられてきましたが、現在は「出雲大社(いずもおおやしろ)」と申しております。
(出雲大社ホームページより)
う~ん。。。
神話はむずかしいデスね。
文献を読めば読むほど所説あり、
同じ内容でも立場(見方)によって全然違ったり。
国造りを今回おさらいするまでは、
力づくで国をとられ、黄泉の国の統治までさせられるハメになって、
『せめて住まい(よもや、お〇〇?)は造ってね』的な、
だいこく様がかわいそうなイメージだったお話が、今回参考にさせていただいたいくつかの文献によると、(「詳しく読む」で先述した通り、)
『国をお返しし、感謝されて御殿をプレゼントされ、お世話係まで遣わせてもらう』というハッピーなお話になっています。
ご神名がたくさんあるのも難しい原因のひとつで、
漢字が少し違うとか、
あれ?〇〇神のお子さんじゃなかったけ???
みたいなことがいっぱいで頭がパニックです。
時代背景などなど、
「大人の事情」をもっとお勉強ですね…
【大国主大神】と【だいこくさま】と【大黒天】
大国主大神さまにはたくさんのご神名がありますが、
私たちは一般的に「だいこくさま」と呼んでいますよね。
同じく「だいこくさま」と呼ばれる七福神の「大黒天」は同じ神様なのか、気になったので調べてみました。
出雲大社さんの解説によると
【大国主大神】と【だいこくさま】は同じ神様ですが、
いわゆる〝七福神〟の「大黒天」は
正確には別の神様でした。
大国主大神は大国主命ですが、
大国主命は大国様とも呼ばれるため、
大国主大神=大国主命=大国様=だいこくさま でした。
それでは同じく「だいこくさま」と呼ばれる「大黒天」は?
大黒天
室町時代の説話集「塵塚物語(ちりづかものがたり」によると、
『大黒天は梵語で「マカカラ(マハーカーラ)」といい、密教では大日如来が悪魔を降伏させるために忿怒(ふんぬ)の形相(怒ったこわい形相)をする仏法守護の神としているが、
インドにおいては
福を授ける神として厨の柱などにまつられており、
わが国では伝教大師(最澄)が叡山(比叡山)に祀って以来温和な形相の福の神とあがめられるようになった。
伝教大師が叡山に糧食の神として大黒をまつったことから、わが国の寺院の台所に大黒をまつるようになった。』
と記されています。
- 大黒天信仰は・・・続きを読む・・・
- 平安時代(806〜1185年)のはじめに最澄(天台宗の開祖=伝教大師)が
日本で初めて大黒様(三面大黒)を祀ったため、寺院から広まったといわれています。その後室町時代(1334~1467年)になると、寺院に修行にきた信者によって大黒天信仰が庶民に伝わり、寺院にならって大黒天を祭るようになりました。そして大黒天信仰は、戦国時代の天文・永禄年間(1532〜1570年)に急速に京都で広まったようです。(「塵塚物語」より)戦国時代の戦乱が続く中、不安をかかえた庶民が大黒天を福の神として救いを求めたのではないでしょうか?
現在の大黒様のお姿=左手に宝物の袋、右手に打ち出の小槌、足元に米俵が出来上がったのは京都に大黒天信仰が広がった時期のようです。
ということで、大黒天はインドから中国を経ていらした大黒様で、
大国様(大国主大神)とは違うということがわかりました。
整理すると、
大黒様=大黒天=七福神のひとり、起源はインドの神(マハーカーラ)
※「大黒」は「マハー(大きく広い)カーラ(黒い)」を中国で訳したもの
でも、まだすっきりしません。
出雲大社さんの解釈の一言。
「正確には違う神さまです。」の「正確には」の意味。
それは、大黒様と大国様が融合したということでした!
つまり、本来は別の神さまでしたが、
同じ「だいこく」の音から混同したり、
神仏習合の際に同一視されたなどにより
習合し信仰されるようになったのだそうです。
大黒天と大国様を習合したのは最澄という説もあります。
(参考「画題辞典」斎藤隆三著 1925年出版)
なるほど~
だから「正確には」だったんですね。
余談ですが、
大黒天はインドのシヴァ神の化身(マハーカーラ)と言われていますが、密教と一緒に中国から伝えられた大黒天は、
中国で陰陽道と結びつき、太極(万物の生ずる 宇宙の根元)としての要素を持って日本に伝わりました。
中国で大黒天は、天(陽)と地(陰)の間の柱(宇宙を支える陰陽の区別のない大極柱があると考えられていた)を融合した、万物の根源とされていました。
日本民家の中央にある最も太い柱を「大黒柱」といいますが、「大極柱」とも書きます。
もとは「大極柱」と表記されていたものが、大黒信仰が広まるにつれ「大黒柱」となったそうです。
「朝日日本歴史人物事典」にも
こちらにも大黒様(大国主大神)と大黒天が同一視されるようになった、と記載があります。
(大黒天は仏様なので、お寺では「大黒様」、神社では「大国様」と区別されることもあります。)
すでに頭がいっぱいで、私自身、心が折れそうですが、大国様の別名紹介もかねて、よかったら、つづきを読んでください。
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-
大国主命は『古事記』『日本書紀』にみえる神。項目の名称は今日一般に知られた表記だが、その大本である『古事記』『日本書紀』ではすべて大国主神と記す。また別名として『古事記』には・大穴牟遅神、・葦原色許男神、・八千矛神、・宇都志国玉神 の4種、『日本書紀』には・大物主神、・大己貴神、・葦原醜男、・八千戈神、・大国玉神、・顕国玉神 の6種を掲げる。素戔嗚尊が八岐大蛇から救った奇稲田姫との間に生まれた子(伝承により6代後の子孫とするものもある)。少彦名神らの協力を得て、地上世界の経営に当たる。天孫が降臨する前の地上世界における支配者で、出雲を根拠地とする。天上界の神の要請を受け入れて地上の支配を譲る。多彩な別名は単に列挙してあるだけでなく、話の中で実際に用いられるものも多い。
特にオオナムチ(大穴牟遅神、大己貴命)がよく用いられ、
頻度としてはむしろ大国主神よりも高い。また『万葉集』『風土記』などではこの神について、別名ばかりで大国主神の名はみられない。
これは大国主神と称されるキャラクターが、出雲のオオナムチを中核にして各地で祭られていた神々を統合してでき上がっているためで、いうならば「大国主」という名は、地上世界の支配者であることを表すために考案されたもの。
特に『古事記』では,この神の成長過程などで各種の別名を多く用い、地上の支配者の立場で天上界の神々と対峙するときには、もっぱら大国主神の名が用いられるという、芸の細かいところをみせている。
今日、大国主神の信仰は出雲大社を中心に縁結びの神として広まっている。
この大社の社家は、古代の地域君主ともいうべき豪族「出雲国造」の直系に連なる家で、今も古代そのままに祭祀を司っている。
なおこの神が「大黒様」とも称されるのは、インドに発する大黒天が名の類似(大国=だいこく)や両者共に豊饒に関わる神と信じられたりしたことなどから同一視されるようになったものである。
参考文献:千家尊統『出雲大社』、田典城『日本神話論考』
「因幡の白兎」
大国主大神にまつわる有名な神話「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」 の像が、手水舎のすぐ後にあります。
「因幡の白兎」、
たしか、小学校の教科書にでてきたような・・・。
もしかしたら「まんが日本むかしばなし」で見たのかも。
この神話はご存知の方も多いと思いますが、
大国様のお人柄(神柄?)紹介の意味も込めて
アップしておきたいと思います。
- 因幡の白兎 おはなし・・・続きを読む
- 出雲の阿国にだいこく様という神さまがいらっしゃいました。
その神様にはたくさんの兄弟がいましたが、その中で一番心のやさしい神様でした。
兄弟の神様たちは因幡の国に八上比売(やかみひめ)という美しい姫がいるという噂を聞き、みんなで会いに行こうと決めました。
だいこく様は兄弟たちの家来のように大きな袋を背負わされ、
一番うしろからついていくことになりました。兄弟たちが因幡の国の気多の岬を通りかかったとき、
体の皮を剥がれて泣いている一匹のうさぎに出会いました。兄弟たちはそのうさぎに意地悪をして、
海水を浴びて風に当たると良いと嘘をつきました。うさぎはだまされていることも知らずに、
言われるままに海に飛び込み、
風当たりの良い丘の上で風に吹かれていました。そのうちに海水が乾いて、傷がもっと広くなり、ひりひり痛みだしました。
前よりも苦しくなって泣いているうさぎのところに、後からついてきただいこく様が通りかかりました。
だいこく様はそのうさぎにどうして泣いているのか訳を聞きました。
「私は隠岐の島に住んでいたのですが、
一度この国に渡ってみたいと思い、泳げないので渡る方法を考えていました。するとそこに和邇が来たので、私は彼らを利用しようと考えました。
私は和邇に自分の仲間とどっちが多いか比べっこしようと話しをもちかけました。
和邇たちは私の言う通りに背中を並べ始めて、私は数をかぞえるふりをしながら、向うの岸まで渡りました。
しかし、もう少しというところで私はうまくだませることが嬉しくなって、
ついだましたことを言ってしまい和邇を怒らせてしまいました。
その仕返しに私は和邇に皮を剥かれてしまったのです。
私が痛くて泣いていると、先ほどここを通られた神様たちが私に
「海に浸かって風で乾かすと良い」とおっしゃたので、その通りにしたら前よりもっと痛くなったのです。」だいこく様はそれを聞いてそのうさぎに言いました。
「かわいそうに。すぐに真水で体を洗い、
それから蒲(がま)の花を摘んできてその上に寝ころぶといい。」そう言われたうさぎは、
今度は川に浸かり、集めた蒲(がま)の花の上に静かに寝ころびました。そうするとうさぎの体からから毛が生えはじめ、すっかり元の白うさぎに戻りました。
そのあと、ずいぶん遅れてだいこく様は因幡の国につきましたが、
八上比売(やかみひめ)が求められたのは、やさしいだいこく様でした。
次回はいよいよ境内へ入ります。
境内はパワースポットがたくさんあります。
ご利益あるお砂やマニアックな参拝の仕方などをご紹介します。
またご縁がありますように。
出雲大社 Vol.3 境内 へいく
出雲大社
0853-53-3100
島根県出雲市大社町杵築東195
参拝時間 6:00~18:00
3月〜10月 6:00~20:00
11月〜2月 6:30~20:00
御祈祷の受付 8:30~16:00
8:30~16:30
※20時 18時以降、荒垣内(銅鳥居より先)は閉鎖されます。
※郵送での「御祈祷・御札(おふだ)・御守(おまもり)」の申し込みも電話で受付されています。
現在、新型コロナの影響で参拝時間等が一部短縮されています。今後の感染状況によって変更される場合がありますので、ご利用の際は事前にご確認ください。